むーさんは外を向く

欲望に正直に。琴線に触れるものを愛して。

おしい!ふるさと情報コーナー

地域活性化センター」というものが日本橋にありますが、そのビルの1階に、全国各地の自治体のパンフレットを入手できる「ふるさと情報コーナー」という場所があります。

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その名の通り(?)、有名な市からどこだか分からない村まで、本当に色々なところのパンフレットがあります。

2月にタモリ倶楽部でやっていたところから知り、今回初めて足を運んでみました。

 

場所は東京駅の八重洲口と地下鉄の日本橋駅の中間あたり。どちらかといえばオフィス街という感じなので、日曜日のお昼にしては人通りは少なめでした。

 

さて、早速パンフレットを探してみよう!

…と行きたいところなのですが、、、

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文字小さ!しかも表紙見えないからいちいち引っ張り出して見なきゃいけないとか面倒くさ!

 

棚の上から下までびっちりパンフレットが並べられているので、下の方は頑張ってしゃがまなければいけません。しかもどういう訳か、上の段に市、下の段に町や村という並び。

地域活性化の文脈でこの場所作ってるならもうちょっとレイアウト工夫できるのでは??なんて思ってみたけれど、まあそこら辺は色々な事情があるのでしょうね。

 

とにかく、初めて足を運んだ感想は「惜しい!」

 

実際この手のパンフレットは、無料でもらうのがもったいないくらいクオリティの高いものもありますが、自治体それぞれがあらゆる出版物を各々で発行しすぎてカオスになっているのが実情です。

 

せめて表紙が見えるようにするだけでも、「ジャケ買い」のように手に取ってくれる人がいるので良いとは思うんですがね…やはりスペースの都合上しんどい、というところでしょうか。

 

各々が労力を費やして作ったもの。やはり日の目に当たるようになって欲しいな、と思うのです。自分も、地域系ではないものの広報誌の編集に携わっていたとき、「こんなに苦労してもどうせ誰も見ていない」という現実に耐えられなくて続けられなくなったことがあります。

 

自分だけではいきなり大きなことは出来ないけれど、こういう「良いもの/良いこと」をしている人たちのためのプラットフォーム的な働きはできないか?というところはどうしても考えてしまいます。

 

実際、ふるさと情報コーナーは割と地味な場所にありながらも、常時5〜10人くらいの人が立ち読みをしているような状況です。こういう人たちの関心を活かすことができたら、もっともっと面白くなるんじゃないか?

 

(訪問日:2018年4月22日)

 

追記:

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ふるさと情報コーナーの向かいには、山口県のアンテナショップがありますが、どういうわけか島根県の「しまねっこ」のダンス動画が流れていました。島根県のアンテナショップはここじゃないよな?(笑)

 

メガネは「手抜き」/コンタクトは「下心」なのか

メガネを外してコンタクトをつける…それは一度経験した人にとっては大したことのない一歩でも、当の本人にとっては大きな変化だったりします。

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自分は、15年間のメガネ生活から、先日コンタクトを初めて購入して、コンタクト生活を始めたところです。

 

自分がまさに、こうした「変化」をこの1ヶ月間体感しながら過ごしてきたので、コンタクトをつけて変わったこと、変わらなかったことを記していこうと思います。

 

コンタクトのことがよく分からない。それだけでハードルを感じた。

 

当たり前のことですが、コンタクトを装着するということは、目に異物を入れること。

その感覚が、つかめませんでした。

 

家族は全員眼鏡。しかもコンタクトにしようとして眼科へ行くもどうしても目に入れられなくて泣く泣く諦めた…というような話を聞いていたので、自分のなかで「コンタクトに変えるのはとても大変なんだ」という認識がありました。

 

「欲しいものはコンタクト」と言ったら

 

そんなこんなでコンタクトを始めることなく数年が経ったある日、とある集まりで自己紹介をする場面があり、「今欲しいもの」というお題がありました。

「そろそろイメチェンしたいな…」漠然ながらそう考えていた自分は「今欲しいものはコンタクトです」と回答。

 

すると、「そんなのすぐ作れるじゃん!」という反応。意外とそんなもんなのかと思い、翌日早速眼科へ。

 

日曜日の眼科は激混み

 

思い立ったその日は日曜日。ほとんどの眼科は休診のため、足を運んだ眼科は激混み。

ただし、診察時間としては視力検査と装着練習だけのものの数分。

しかも装着練習でつけたコンタクトはそのままつけて帰ってよいということで、あれよあれよという間に僕のコンタクト生活がスタートしました。

 

コンタクトの処方箋と聞くと、まずは問診だけなのかなと勝手に思っていたので、正直びっくりしました。コンタクトの初めの一歩って正直よくわからなくないですか???

こんなに簡単ならもっと早くやればよかったと(笑)

 

メガネは「手抜き」/コンタクトは「下心」なのか

 

こうして始まったコンタクト生活。

15年間メガネだった人間が突如コンタクトになるわけですから、当然それなりの反応をしてもらいます。

掛けられる言葉の典型例をまとめました。

 

・「彼女できたの?」

…いやいや、そんな単純な話がありますかって(笑)

もちろん、20代中盤でありながらいわゆる「イコール年齢」である自分を周囲の人たちが気遣って言ってくれてる言葉だとは信じています。でも順番が逆じゃないですかね。

「イコール年齢」という事実は自分が一番憂いていますし、そればかり言っててもどうもならない。魅力のない外見へのせめてもの抵抗を、ということでやっているわけですから、そこら辺はそっとしておいて欲しい。

 

・(メガネをかけてきた日に)「あれ、今日はオフ?」

気持ちはわかります。

でも、時間がなくてコンタクトをつけて来られない日だってありますし、朝起きたら目が充血していて、「今日はダメだな」という日だってあります。

もちろんそういうコンディションでも、例えば女性と食事に行く予定がある、とかであれば多少無理はすると思うので、そうではないということは「オフだ」と言われても無理はないのだと思います。

 

自分だって男ですから、少しでも良く見られたいと思う気持ちはありますし、それを「下心」というのなら、下心はあります。当然です。

でもそれってなんでもそうじゃん。わざわざ言わなくてもねぇ、と思うのです。

 

まあでもそこまで言われるのであれば、「コンタクトにして変わったね」と言われるように何かを変化を起こしてやれば問題ないのでしょうね。仕方ない、やってやるか。

地図の見える病

自分は幼少期から地図に興味があり、いつの間にか、地名を言われれば大体の場所が分かるくらいの知識を身につけていました。

 

市町村の名前を行ってもらえれば何県にあるのかはもちろん、大体どの辺りにあるのかもある程度わかりますし、駅名を言ってもらえれば大体の場所とその駅までのアクセスは調べなくてもある程度は分かります。

 

この"能力"の存在には小学生くらいから気付いていたのですが、これまでの人生でこれは、どちらかといえば隠したい部分であったというのが本音でした。

 

もともと地名の知識が増えていったのは自分が小さい頃から鉄道好きだったことに他なりません。

小学生や中学生の頃は、修学旅行や校外学習で班行動があるときがもっとも知識を活かせる場所でした。自分の班だけではなく他の班のスケジュールも考えたり、東京駅の構造を事前に把握して誰よりも早く集合場所に到着することを目指してみたり…

その時は優越感を得ることもありましたし、友達も似たような趣味だったのでこの知識は邪魔ではありませんでした。

 

しかし徐々に、知識があることにコンプレックスを感じるようになってきました。

 

スクールカーストというものがありますね。上記のような奴だったので僕は間違いなく「オタク」ポジションにいたわけです。

「鉄道が詳しい→オタク→キモい」の構図は間違いなくあると思いますし、中学生や高校生という年頃ですから、キモいと思われる根は絶っておきたいという気持ちから、普段はそういう方向に興味があると思われないように、少なくとも第一印象で思われないように、いつの間にか気を使っている自分がいました。

 

それがここ1年くらいで、潮目を少し変えてくれそうな出来事がいくつかありました。

 

その一つは、地方で活躍する人、しようとしている人たちに出会うことが多くなったがために起こるようになったことですが、

こういう人たちが「自分は○○(地名)というところで活動している」というときに、僕の場合はもちろん「○○県のここら辺ですよね?」みたいなことを答えます。

そうすると、「なんで知ってるんですか!」と目を輝かせてくれます。この時の皆さんの表情が大好きです。

 

日本の地方、問題は山ほどありますが、根本的なところでは「自分の故郷や今関わっている場所に自信を持てない」というところがあると思います。

 

だからこそ、外から見て「あなたの故郷のことを知っている」と知らせてあげるだけでも大きな意味を持つということに気付きました。

 

知識をひけらかすことは印象が悪い…そう思いながら必死に隠そうとしていた「本能」と上手に向き合い、武器として効果的に使っていければと思っています。

「あそんでいきよう」

今僕が最もリスペクトしているアーティスト、永原真夏さんの曲です。

 

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https://natalie.mu/music/news/264617 より

 

いきなり話は逸れますが、「歌手」とほぼ同義で用いられる、日本語としての「アーティスト」という言葉が好きではありません。

アートを感じない、というかそれを目的としない歌手だってたくさんいる。そういう人まで総じて"art"という括りの中に入れることに違和感を感じます。

そのことを前提に、永原真夏さんを語らせてください。

 

この曲を知るきっかけとなったツイートがあります。

 

 「あそんでいきよう」というタイトルの曲を、「腹の底から血を吐く勢いで」「なにくそ根性で絞り出す」この人は一体何者なのか??そう思うとどんどん興味が湧いてきました。

 

この「あそんでいきよう」という曲は、アルバム「GREAT HUNGRY」に収録されている曲です。1曲目の「ダンサー・イン・ザ・ポエトリー」を筆頭に、それまでの"バンドのヴォーカリスト"としての視点とは異なる、"表現者"としての真夏さんの感覚に触れることができます。

 

「ダンサー・イン・ザ・ポエトリー」は、楽曲の公開を前に活版印刷の詩を発表するという、"音楽"としては異例の売り出し方がされました。

 

youtu.be

 

なぜ冒頭で「アーティスト」という単語に対して言及を加えたか?

それは僕が、真夏さんの音楽のみならず、その表現すべてにartを感じることができる存在だと考えているからです。

CDが売れない時代に、もはや過去の存在となりつつある「歌詞カード」を、それも活版印刷という手法で敢えて世に送り出す。その心意気に惚れました。

 

ある日Twitterのタイムラインに流れてきた記事に心を奪われました。

sheishere.jp

正直半分くらい何言ってるかわからないんですけど、

気づけばエモーショナルな気持ちに支配されているこの感覚。

僕にとっては、現代アートの作品を見ているときの感覚と一緒だったのです。

 

人に何かを伝えたいときに、言語や文化が違っても、自分が大切にしているものをブレさせる必要はないんだなとそこで気づきました。大事なのは人間の感性だし、それを発する力も受け取る力も、舐めてはいけないなって。

 

自分も、腹の底から血を吐く勢いで表現することと向き合ってみたい。

そう思います。真夏さんのように。

BankArt Studio NYKで物思いにふける

BankArt Studio NYK を知っていますか?

 

横浜にある、日本郵船の倉庫を改装したアートスペースみたいなところです。

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自分も最近ネットで知ったのですが、こちらが3月末で閉鎖とのことだったので、行ってみました。

 

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今やっている展示は、「芸術家の棲む家」という、文化庁の芸術家海外派遣事業に関連する展示だったらしいです(よく知らない)

 

コンクリート打ちっ放しの室内では、建築をはじめとしたあらゆるジャンルの展示がありましたが、なんといってもこの空間そのものが放つ静寂とアーティスティックな感じがたまらない。

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自分は芸術の細かいところはよく知らない。だから展示を見ても正直内容はあまり入ってこない。それでもこの空間に心を打たれ、静かなる興奮に満たされるのか一体なぜなのか…

 

アーティスティックな空間にいると、こちらまで考えごとを始めてしまいます。

 

一つだけ、しっくりとくることがありました。

ヒントは窓から見える景色。

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赤レンガ倉庫や大さん橋、奥にはベイブリッジも望めます。

 

土曜日のお昼。

向かいの赤レンガ倉庫は多くの人で賑わっています。

 

しかし運河を隔てたこちら側は、静寂に包まれている。

自らも横浜にいながら、まるで横浜の街を俯瞰しているかのようなこの感覚。

 

そんなことを考えていたら、ある展示の説明にこういう一文を見つけました。

 

“そもそも展示空間は〈内部〉であると同時に〈外部〉である。展示物を見る者にとって展示空間は、当然、建物の〈内部〉であるが、逆に展示物からの視点では展示空間は〈外部〉となる”

(戸室太一氏 展示レジュメより引用)

 

ある意味「内と外」が混在していて、そういう感覚が面白いんですね(自分で何言ってるか良く分かりませんが大目に見てください笑)

 

とにかく、こんなにエモーションな気分にさせてくれたこの空間があと1週間でなくなるなんて、想像できません。

 

そういえば、BankArtを知ったきっかけがこのクラウドファンディングでした。

https://motion-gallery.net/projects/tegami-post2018

クラウドファンディングの目的が「手紙」というのがいささか懐疑的ではありますが、この建物の行く末を見守っていきたいと思います。

 

残り1週間。

気になった人は、今からでも行ってみると良いと思います。

 

みなとみらい線馬車道駅のすぐ近くです。

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(訪問日 2018年3月24日)

 

【追記】

写真を見て薄々気づいたかも知れませんが、BankArt Studio NYK の展示室内は撮影OKでした(常にそうなのかこの展示に限りなのかは分かりませんが)

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